連載
#10 キャラクターの世界
色のついたムーミンが消えた なぜ日本で人気?市場規模は北欧と同じ
ムーミンとサザエさん、実はある共通点が…
北欧生まれのキャラクター「ムーミン」。名前を聞いたり、フォルムを知っていたりする人がほとんどかと思います。ある調査によると、国内での認知度は9割超え。関連市場は発祥の地である北欧向けと、日本向けが同率です。なぜそこまで日本で愛されているのか、8月9日の「ムーミンの日」を前に、国内で歩んできた歴史を取材しました。(朝日新聞デジタル編集部・影山遼)
2019年10月に民間調査会社「日本リサーチセンター」が行った「全国キャラクター調査」によると、15~79歳の男女1200人のうち、認知度が9割を超えたのは「ハローキティ」、「ムーミン」、「くまのプーさん」の3種類のみとなりました。
海外から出てきたキャラクターとしては、ムーミンが一番認知されているという結果と、幅広い年代がその存在を知っているということが調査から分かります。
全ての始まりは、フィンランドの作家トーベ・ヤンソンさん(2001年に86歳で死去)が1945年、母語のスウェーデン語で書いた小説「小さなトロールと大きな洪水」です。今と比べると少しほっそりとしたムーミンたちが世に出てから、今年でちょうど75周年。1970年までに、小説は全部で9作品が出ました。
トーベさんは日本にも2回来たことがあります。
<トーベ・ヤンソン>
1914年、ヘルシンキで彫刻家の父と画家の母の間に生まれた。画家として出発、政治風刺漫画などを手がけたが、1945年に後のムーミンシリーズの原型となる第1作を発表。ムーミン一家の楽しい暮らしや不思議な冒険をつづったシリーズは、自身が挿絵を描き、世界中で親しまれた。1966年に国際アンデルセン賞受賞。1970年に発表した「ムーミン谷の十一月」がシリーズ最後の作品に。自伝的小説「彫刻家の娘」など大人向きの作品も数多く、晩年まで創作を続けた。
一部のファンにとっては常識かもしれませんが、私たちの知っているムーミンは、全員が小説の挿絵から来ているわけではありません。
筆者のお気に入りキャラクター「スティンキー」を例にとってみましょう。公式ホームページでの説明は「黒くて、毛むくじゃらで、体から卵が腐ったような悪臭を放ち、なんでもかんでも食べようとする。根っからのいたずらもの」。あまりキャラクター業界では見かけませんが、周りに1人くらいはいるような、なかなか憎めない存在です。
ただ、このスティンキー、小説には出てこないキャラクターです。登場するのは、トーベさんが、弟のラルス・ヤンソンさんと描いたコミックスと、日本で放送が始まったアニメです。アニメの中では「びとーん、びとーん」という音が特徴的でした。
漫画家で自称「永遠の20歳」の浜田ブリトニーさん(41)も、ムーミンのファン。記者と同じくスティンキーを推している仲間です。浜田さんは「小学生の頃からアニメを楽しみに見ていました。その後、大人になってグッズにハマり小物などを集めるようにもなりました」と振り返ります。アニメ以外に、小説やコミックスにも触れているといいます。「小説は(トーベ・ヤンソンの)独創的な挿絵も入っていて読みやすかったです」
ムーミンの魅力を「マイペースなキャラが多く、自分の好きなことをして生きてる世界観が好きです」とした上で、スティンキーについては「アニメの当初は、いじわるなキャラでしたが、回を重ねるごとに、キャラのいじらしさ、おちゃめさが分かってきました」とし、今では断トツで好きなキャラクターにまでなったといいます。コミックスの中でのお気に入りを「スティンキーの臭いで、ムーミンが家から嫌な客を追い出した話です」と紹介します。
将来は家族と一緒に、フィンランドでムーミンを巡る旅に出るのが夢だと、教えてくれました。
日本に初めてムーミンが登場したのは1964年。講談社の「少年少女新世界文学全集」の北欧編の一編として、「ムーミン谷の冬」が収められていました。講談社によると、翌年の1965年には「たのしいムーミン一家」を出版。本の歴史については次回で深掘りします。
そして、1969年にフジテレビ系でアニメ「ムーミン」の放送が始まりました。くしくも、ムーミンの初回放送日は、「サザエさん」と「ハクション大魔王」の初回と同じ日でした。
1972年にもフジテレビ系で放送された後、1990年にはテレビ東京系で「楽しいムーミン一家」の放送が始まりました。このアニメシリーズで日本にムーミンが浸透したといえます。
小学生の時にアニメを見ていたという東京都北区の男性(59)は「今のおしゃれなムーミンと違って、少しやぼったくてメルヘンチックなところが今思うと好きだったのかもしれません」と過去の自分を分析します。成長してもムーミンは気になる存在のままで、男性は「子どもが小さい時は本で読ませていました。孫がもう少し大きくなったら、(埼玉・飯能にある)ムーミンバレーパークに行きたいですね」。3世代にわたって楽しめるコンテンツになってきています。
2005年には、トーベ・ヤンソンさんの誕生日である8月9日が「ムーミンの日」として定められました。原作ではムーミンの誕生日が明示されておらず、また、「小さなトロールと大きな洪水」の初版本の発売日も不明なため、関係者が知恵をしぼった結果、この日が記念日に決まりました。
ここまで歴史をたどってきましたが、現在のムーミンはどこに向かって歩んでいるのでしょうか。
ムーミンの国内のライセンス(翻訳出版権・テーマパーク・舞台芸術は別の会社)を管理している会社「ライツ・アンド・ブランズ」の担当者に話を聞きました。
公式サイトやSNSも運営している会社といえば、より分かりやすいかもしれません。30年近くにわたって国内で著作権エージェントを務めてきた会社を母体に、全体の著作権を持つフィンランドのMoomin Characters Oy Ltd.に加え、「ムーミンバレーパーク」を運営する「ムーミン物語」の3社の合弁で、2018年に設立された比較的新しい会社です。
元々別のキャラクター会社で働いていたという広報の西藤美香さんによると、ムーミンが方向性を変えたのは、2012年ごろのこと。
アニメの放映から時がたったことや、Moomin Characters Oy Ltd.からの要望などを受けて、「原点回帰」に踏み切りました。アニメからの商品化をやめて、小説とコミックスからのイラストだけに限定したといいます。アニメのムーミンには色がついていましたが、小説やコミックスのムーミンは白。そのため、色のついたムーミンを見る機会が激減しました。
アニメを見ていた層が成長していたことや、当時の北欧ブームの波にも乗り、洗練された「おしゃれな」ムーミンの人気が、大人を中心に出てきました。西藤さんは「言語的にも性的にもマイノリティーな存在だったトーベ・ヤンソン。そんな本人が描いた絵が、ムーミンの魅力を一番表現していました。2014年の生誕100周年を機に、トーベの人間性が注目され、芸術性の高さが改めて評価されたことで、支持を集めたのではないでしょうか」と話します。
ムーミンの商品は基本、「キャラクターもの」というよりは、いずれもフィンランド生まれのマリメッコやアラビアのように生活に溶け込んだ「おしゃれなもの」を目指しているそうです。目標は「脱キャラクター」で「北欧デザイン」。そのため、イラストのそばに「MOOMIN」と大きく描かれたデザインは採用していません。
かたや、ぬいぐるみといった一般的なキャラクターに求められていることも共存しています。
2019年には、「ムーミンバレーパーク」がオープンし、新作アニメ「ムーミン谷のなかまたち」(NHK BS4K)も放映を開始。さらには、フィンランドにあるムーミン美術館などが所蔵する原画やスケッチなど計約500点を展示する「ムーミン展」の2年間にわたる巡回も始まるなど、ファンにはかなり忙しい年になりました。2020年9月からは「ムーミン コミックス展」も始まり、こちらも全国を巡回する予定です。
大人路線を歩んでいた2012~2018年ごろは、子ども向けの商品は作られていませんでしたが、2019年にはアニメも始まったことで、ランドセルなどの販売も開始。これまでは商品を置けなかった量販店の一部でも、販売が始まりました。西藤さんは「ムーミン人気を盛り上げるだけでなく、枯渇させずに、テーマパークの開業やアニメをきっかけに、新しいファンを獲得することにも意識を向け始めました」と子どもにも目を向けた理由を説明します。
国内の市場規模は2010年の約80億円から、10年の時を経て、約450億円と6倍近くに増えました。日本が世界市場に占める割合は、北欧と同等の4割ほどになっています。ちなみに、北欧と日本以外では、1954年にロンドンの新聞でマンガの連載が始まったことなどを背景としたイギリスと、日本を除くアジアで、残りほとんどの市場を占めているそうです。
ムーミン谷のキャラクターはそれぞれ個性がありますが、お互いを受け入れて、多様性を大切にしています。何か悩みがあっても、それに対応する名言が出てくる世界。癒やしがある半面、社会風刺もちりばめられている。そんな世界観を守りながら、日本での愛はさらに深まっていきそうです。
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